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後藤新弥のDAYS'
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2004年08月23日更新

勝利へのスパート

<アテネの西日が野口を直射した>

 真正面から、沈みかけた太陽が射るような光を、野口みずき(26)の顔に投げかけてきた。

 それはペルシャ戦争の際、「我勝てり、海の守りを急げ」をアテネに知らせるためにひた走った伝令フェディピデスを照らし、1986年の第1回で、優勝者ルイスを照らしたのと、同じ太陽だった。

 野口は、まるで西日に立ち向かうようなきりりとした表情で、その光の束のまっただ中に突っ込んでいった。

 もはや、他に選択はない。

 自分が行くのだ。

 25キロ過ぎ。激しい起伏は、あと数キロでまもなく終わろうとしている。

 勝利へのスパートだ。まだラドクリフも、ヌデレバも、無表情のアレムにも、沿道からはさして変化はみられない。しかし、野口には感じ取るものがあったのだろう。勝負するには、金メダルを奪うには、今、ここで出るしかない。

 勇気ある挑戦。もし高橋尚子が出ていれば、やっぱりここでスパートしたに違いないというポイントだった。

 最後の丘を登り切る。

 アレムが落ち始めた。

 30キロ地点でアレムに23秒差。ラドクリフに30秒、ムデレバに39秒。

 女神は、野口の顔をのぞき込んだのか。サングラスで、本当の表情はまだ分からない。

 一番先に、下りに入った。追い風が、後続との差を広げてくれる。差が広がれば、心理的にも優位に立つ。諦(あきら)める選手は、そこで諦めてくれる。

 35キロは2時間2分15秒、後ろは25秒差のヌデレバになった。

 そしてアキムにも抜かれたラドクリフが、ついにその足を止めた。泣いている。もう一度走り始め、そして腰を折った。歩き出し、また走り出した。

 最後まで走ろうとする勇気は、勝敗とは次元を異にした感動を、世界に与えている。しかし世界最速の脚は、アテネの過酷な丘に、はじかれ、固い大理石のディフェンスに阻まれた。

 勝負は、そこで決まった。

 レースはゆっくりと始まった。

 スタート直後の1キロは3分28秒とややスローペースで先頭集団が滑り出した。5キロは17分9秒。ラドクリフが計8人を引っ張り、オカヨ、野口、エチオピア勢、土佐、坂本が並ぶようにして続いた。10キロの通過タイムは34分25秒。

 11キロ過ぎからいよいよ上りにかかると、土佐が前に出て先頭のラドクリフと並走。アレム、オカヨ、野口が続き、坂本もぴったりとつけた。15キロ通過は野口が52分11秒でトップ。

 20キロ通過は1時間9分57秒。その直後の上りでオラルが脱落、中間点を過ぎトップ集団からトメスクが遅れ、さらに24キロ付近の上りでオカヨも下がった。上りでペースダウンし、25キロ通過タイムは1時間28分5秒。

 その野口の唇のあたりが、少し青ざめ始めたのは、38キロを過ぎた頃だった。

 マラソン発祥の地。陸上女子マラソンで野口みずき(26)=グローバリー=が優勝し、前回シドニー五輪の高橋尚子に続く金メダルに輝いた。五輪の女子マラソンで同じ国・地域の選手による連続優勝は初めて。日本女子は4大会連続のメダル獲得となった。

 女子マラソンの日本は、シドニー五輪の覇者、高橋を欠く布陣。もし、メダルに届かなければ、「たら」「れば」論争は必至だっただろう。

 だが、野口が金メダルを獲得し、日本は五輪で女子初のマラソン連覇を達成した。金メダルは、日本女子マラソンの強さを証明する一方で、高橋抜きで戦った「女の意地」ともいえた。

 昨夏の世界選手権銀メダルで五輪代表をいち早く決めた野口は、月1回ペースでロードレースに出場。ハーフマラソン、30キロでは自己記録を更新。5−6月の中国・昆明高地合宿では34日間で男子顔負けの1350キロも走り込んだ。

 欧州のサンモリッツでも走り込み、「下りの疾走」をたっぷりと経験したともいう。

 小柄な体に大きなストライド。

 スピード変化で競り合いの勝負をするのは不利なだけに、やるなら一気にロング・スパートという決断は、ずっと以前から心に決めていた戦法だったに違いない。

 昨年の世界選手権では、ヌデレバにラストで負けた。抜かれないだけのマージンを取ってしまえば、今度は勝つ。同じ選手に2度は負けまいとする野口の決意こそ、勝利の原点だったかも知れない。

 野口はサングラスをはずし、口をあけ、必死に逃げた。ヌデレバが残り2キロで12秒差に追い上げてきたが、野口はくじけなかった。恐れなかった。

 競技場に入った。ヌデレバはわずか20メートルに縮まった。しかし野口は勝利を確信し、手を挙げた。

 長い直線、残り150メートル。スタンドに日の丸が揺れた。

 駆け抜けた。回りを見た。2時間26分20秒か。

 金メダルだ。

 走り切った野口にはドクター・チェックが必要だった。まさに燃焼し尽くした走りだった。

 「25キロから出ろとコーチに言われていたので、その通り出た。後ろからだれが来ているかは分からなかった。今ですか? もう幸せです」と、テレビのインタビューに答えた。そのとき、涙があふれ出した。「ありがとうございました」と、頭を下げた。

 土佐は「あれ、私6番じゃないんですか」と驚いた。ラドクリフの脱落を知らず、5位入賞を知らなかった。「終わってみれば、早かったです」と、五輪までの道のりを振り返った。本当は長く、つらい道だったに違いない。けれど、彼女のマラソン人生は完全燃焼した。

 7位の坂本が、一番明るい表情だった。「どうせならメダルが欲しかったけど、次の五輪までお預けです」と、笑った。

 その笑いこそ、「3人入賞」の原点でもあった。

 これまでの五輪は、日本の3人がそれぞれに「私が」で、ともすれば不仲も伝えられた。加熱する報道合戦が拍車をかけた。今回は、「3人で頑張ろう」の部分も明白に受け取れた。それが、ラドクリフにも脅威となり、少なからず影響したに違いない。相手が1人なら別だが、3人まとまって食いつかれては−−無理をせざるを得なかったのかも知れない。自分のレースができなかった。

 坂本もまた、25キロ過ぎのスパートを考えていたという。「ただ、その力があそこでは残っていなかった」。

 登り切ってしまったら、ラドクリフやヌデレバの快足に追いつけない。登り切る前に、自力で勝負に行く。しかしそれは捨て身ではない。そのための練習を、十分に積んだからだ。

 勝つべくして、勝った。

 野口だけでなく、3人の勝利だ。

 あの場面で、もし野口に拮抗できる選手がいるとしたら、それは「お化け」ぐらいのものだったろう。


著者の言葉
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著者プロフィル
 後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、58歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
 本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
【 詳細プロフィルへ

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