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後藤新弥のDAYS'
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2004年08月13日更新

100個目は谷か野村か

<金メダルの歴史は苦難の歴史だ>

 サッカーの男子予選をテレビで見た。

 パラグアイの鋭さ、約束事の中で生き生きと発揮される選手個々のひらめきや個性。粗削りではあるが、彼らの「思いっきりエンジョイ」するようなサッカー流儀には、改めて感服せざるを得なかった。

 日本も健闘した。

 けれど、「決めたことを忠実に実行しよう」というサッカーの枠に、いい意味でもあまりに忠実だった。それを意識しすぎたあまりに、やや縛られた感がある。その枠を無視し、山本監督の指示を無視しても勝ちに行こうとするような爆発的エネルギーでは、パラグアイに負けていた。

 僅かな差、大きな違い。

 オリンピックはまだ始まったばかりだ。特徴を生かすチャンスは、まだこれからだ。本当の「らしさ」と真価を発揮するには、いつだって時間と慣れが必要なのである。オリンピックはいつもそういう代償を求めてきた。

 オリンピックでの日本の歴史もそうだった。最初にオリンピック(五輪)に参加したのは第5回のストックホルム大会だった。

 (注=1912年のこの大会は、「オリンピックでのスポーツ領域(国または地域)は、政治上の国境とは別である」、というきわめて重要なスポーツ独立の姿勢を打ち出した、歴史的な大会だった。また電気時計や写真判定システムが導入され、嘉納治五郎=東京教育大学校長=がアジアから初めてのIOC委員に選ばれたのもこの大会だった)。

 日本はマラソンに金栗四三を、短距離に三島弥彦を送り出した。むろん自費参加だったから、金栗は1800円の経費を捻出する「金集め」に苦しんだし、三島は「たかが運動会に学業を放棄するのはどうか」という文部省の意向もあって、東大総長に相談するほど悩み抜いた。

 オリンピックの向かい風。

 それを跳ね返して2人は参加したのだが、三島は最下位、金栗は途中棄権した。熱中症で気を失ったのだった。

 (注=金栗はそれから55年後、ストックホルムに招待されて、「悲願のゴール・テープを切る」写真を撮った。本人は「実に長いレースでした。孫が五人もできてしまいました」と、笑わせた)。

 日本初の銀メダルは、その次の1920年アントワープ大会、テニスの熊谷一弥だった。メガネをかけていたため、あいにくの雨で惜しくも優勝は逃したが、ダブルスでも柏尾誠一と組んで銀メダル。ともに米国駐留の商社マンで、米国でも高いランクのアマチュアだった。

 初の金メダルは1928年のアムステルダム大会で、1926年の女子五輪で個人総合優勝したこともある人見絹枝が、不慣れな800Mで銀メダルと取っただけでなく、世界記録(15M525)に迫る15M52を跳んでいた織田幹生が三段跳びで初優勝した(15M21)。

   苦難の歴史を経て、幾多の代償を払って、日本がこれまでに獲得した金メダルは、通算98個に達している。

 今大会で100個の大台に乗るのは間違いないが、マニアなら「100個目はだれか」に関心を寄せているだろう。

 目下の所は、柔道の女子48KG級と、男子60KG級から出る可能性がある。ともに日本時間14日深夜0時半からのBS生放送で決勝が観戦できる予定だが、V2を狙う谷なのか、V3を狙う野村なのか。

 言うまでもなく、この2人はどの大会でもだいたい同時刻に決勝に進み、常に野村が「裏番組」的な扱いを受けてきた。

 もとより金メダルに、価値の差はないが、世間の関心度という全く別の尺度に答えてきたのは、常に谷だった。「一度でいいから、新聞の一面に載りたい」と、裏番組的な扱いを受けるたびに野村はジョークをかましているが、V3達成となれば、その価値は柔道史上に永遠に残るだろう。

 これまで夏冬27回の五輪で20人しか、五輪3連覇を達成した選手はいない。むろん柔道では、まだだれも成功していない。

 谷が先に金メダルを取れば、その騒ぎでまたもや「そこどいて」とカメラマンに突き飛ばされるかもしれないが、「100個目」の栄光は残る。99と100は違う。100の方が断然偉いのだ(笑い)。

 さあ、実をとるか名をとるか。

 笑っていたいが、刻一刻と、緊迫した瞬間が迫ってくる。

 こちらの笑いも、それを思うと中途で固まる。

 この4年間、楽しくて柔道をやってきたわけではない。シドニーの金メダリストとして「挑戦を受けて立つ」側の4年間は、どんなに苦しく、つらいものか。事実2人とも、シドニー五輪直後の会見では、「また、あのつらい日々かと思うと、アテネ挑戦など、今すぐには決断などできない」と話していた。実際、野村はいったん戦列を離れていた。

 その険しい道を、2人はまた登り詰めてきた。

 悲劇で終わる可能性もある。そうだとすれば、一緒に泣いてやりたくなるような悲劇になるだろう。それもスポーツ、それでもオリンピック。

 だからこそ、男子サッカーには、もう一度大きな勇気を、チャレンジ魂を。へこたれている暇はない。リーダーシップの見せ場が今だ。小野よ、暴れろ! 若人よ、遠慮をするな。


著者の言葉
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著者プロフィル
 後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、58歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
 本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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