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 女子卓球
2004年4月11日付紙面より

愛ちゃん五輪決定!3連勝で決めた!

北朝鮮の金雲美からポイントを奪いガッツポーズする福原愛(共同)

写真=北朝鮮の金雲美からポイントを奪いガッツポーズする福原愛(共同)

<卓球:アテネ五輪アジア大陸予選>
◇10日◇北京・海淀体育館◇男女シングルス決勝リーグ

 【北京10日=牧野真治】ついに愛ちゃんがアテネ五輪出場を決めた。女子シングルスの決勝リーグで福原愛(15=ミキハウスJSC)がダス(インド)を4−0、01年世界選手権(大阪)銅メダルの金雲美(北朝鮮)を4−1、世界ランク13位の強豪・柳絮飛(香港)を4−1と、3連勝を飾った。8人中7人が代表権を得る決勝リーグで最終日(11日)を待たずに7位以上が確定。15歳での五輪出場は日本卓球史上最年少代表となった。卓球が五輪種目となった88年に生まれた少女が英才教育のもと、悲願の五輪キップをつかんだ。

 まぶしそうに無数のフラッシュを浴びた。すでに宿舎に戻っていた福原に吉報が飛び込んできた。五輪決定−。日本協会は選手村に即席の記者会見場をセッティングした。決定は翌日とばかり思っていた福原は「こんなに早く決まるとは。五輪に出ることが一番の夢だったのでうれしい」と驚きながら笑った。泣き虫だった、あの愛ちゃんがついに五輪の舞台に立つ。

 神がかり的だった。世界選手権3位の金雲美、世界ランク13位の柳絮飛。決勝リーグは格上の相手ばかりだった。「でも8人中7人が行けると思ったら気が楽になった」。開き直った福原を勝利の女神がほおっておかない。緩急自在、精密機械のようなバックハンドがさえる。金はカット、柳はパワー。試合前、DVDで特徴をたたき込んだ2人だ。怖くはなかった。

【PDF号外】
福原愛アテネ五輪出場決定PDF号外
画像をクリックするとPDF形式でご覧いただけます。

 要所で得意の王子サーブが決まった。金との第3セット、終盤の苦しい局面で全日本選手権でも封印していた宝刀を抜いた。回転をかけ、7色の変化をつけたサーブが相手の手元を狂わせた。連打する。実は大会前の瀋陽合宿で最も練習したのがこのサーブ。勝負どころで計8本の王子サーブを放ち、7得点につなげた。昨夏の世界選手権8強以降、福原のプレーは徹底的に研究された。それでも止められなかった。

 西村卓二日本代表女子監督が「あいつは違う星からきたエイリアン。何かを持っている」と評する極限の集中力と、大舞台での強さは、初体験の五輪予選でも健在だった。

 日の丸を背負う姿に泣き虫・愛ちゃんの面影はない。3歳で初めてテレビに登場。器用にラケットを操る姿が話題になり、試合に負けるとすぐに泣く愛くるしさが人気を集めた。その後は、日本中が成長を見守ってきた。各年代で全日本選手権を制し、昨年5月にはついに史上最年少で世界選手権に出場。名実ともにトッププレーヤーとなった。

 15歳での五輪は史上最年少の出場となる。「卓球は11年以上やってますし、年齢は関係ない」と福原。そして西村監督は言う。「福原が卓球を選んだんではない。卓球の神様が福原を選んだんだよ」。卓球が五輪正式種目となったのが福原の生まれた88年というのも因縁か。北京で新しい五輪の申し子が誕生した。

 ○…福原は大きな「重圧」も封じた。当初、今大会の日本代表は3人を予定していたが、昨年12月に1人枠に減った。その時点で日本卓球協会には、新たに代表選考会を行う案も出たが、そのまま福原に内定を出したのだ。人気先行など、周囲からの雑音は絶えなかったという。福原を見守る父武彦さんは「すごい重圧だったので本当にほっとしている。逆に励みになったとも思う」と話した。元卓球選手の母千代さん、日大の元卓球部出身の兄秀行さんとともに3月21日から中国で合宿生活を送り、この日もスタンドから声をからした。卓球一家の念願がかなった日ともなった。

 ◆福原愛(ふくはら・あい)1988年(昭63)11月1日、仙台市生まれ。3歳で卓球を始め、元実業団選手の母・千代さんの指導で、天才少女“愛ちゃん”として知られるようになる。5歳で全日本選手権バンビの部(8歳以下)で優勝。98年に大阪に拠点を移し、ミキハウスJSCに所属。10歳で日本の卓球女子第1号プロになった。02年釜山アジア大会団体3位。03年はアジア選手権ダブルス2位、世界選手権シングルスで8強と大躍進した。ことしの全日本選手権で女子ダブルス2連覇。3月の世界選手権団体戦では銅メダル獲得に貢献した。バックハンドからの多彩な攻撃が武器の前陣速攻型。青森山田高1年。155センチ、46キロ。


愛ちゃんの卓球年表
1992年8月 3歳。初めてラケットを握る。始めて4カ月で100本のラリーができるようになる。テレビに「天才卓球少女」として登場し人気者に。
94年9月 5歳。全日本卓球選手権バンビの部で初優勝。
97年8月 8歳。東アジアホープスの日本代表に初選出される。
同11月 9歳。全日本選手権カデットの部(13歳以下)で初優勝。
98年12月 10歳。全日本卓球選手権一般の部、ダブルス史上最年少出場で32強。17歳以下の部で史上最年少出場準優勝。10歳で、卓球初の女子プロ選手として承認される。
99年12月 11歳。全日本選手権一般の部シングルス史上最年少出場初勝利。
2000年6月 11歳。初の日本代表、ジャパンオープン出場。ダブルス32強。
02年10月 13歳。釜山アジア大会の女子団体で銅メダル。同12月の全日本選手権女子ダブルスで小西杏と組み史上最年少優勝。
03年5月 14歳 世界選手権に史上最年少の日本代表で出場し、女子シングルス8強の快挙。世界ランクは38位まで浮上。
04年3月 15歳。世界選手権団体戦で銅メダル。世界ランクは自己最高の25位まで浮上。
同4月 15歳。アテネ五輪代表に決定。青森山田高へ進学。

 ◆最年少記録 福原はシドニー五輪に出場した藤沼亜衣の18歳を更新し、卓球では史上最年少の五輪代表となった。夏季五輪では92年バルセロナ五輪の岩崎恭子の14歳と6日が最年少、冬季では36年ガルミッシュ・パルテンキルヘン五輪に出場したフィギュアスケート女子シングル稲田悦子の12歳11月が最年少。

 ◆五輪決定めも 勝リーグで福原は3勝1敗とし、上位7人に与えられる五輪出場権を獲得した。4敗の尹智恵(韓国)、3敗のモウマ・ダス(インド)、1勝3敗のキム・ユンミ(北朝鮮)の3人が直接対決を残し、いずれかが5敗するため、福原が11日の3試合に全敗しても8人中最下位にはならない。

 西村卓二・日本代表女子監督の話 夢に一歩近づいた。ただし、強化に携わる人間としてはこれからが大変。これまではお守りだったが、今後は1人のアスリートとして指導していきたい。世界一の選手を目指し、やることはたくさんある。


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