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関&轟組が最終で逆転、銅!/ヨット
<アテネ五輪:ヨット>◇21日◇男子470級
関一人、轟賢二郎組(ともに28=関東自動車工業)が銅メダルに輝いた。前日まで総合4位で最終レース(11回戦)に挑んだ2人は3位のスウェーデンをかわし、アトランタ五輪ヨット女子470級で銀メダルを獲得した重由美子、木下アリーシア以来、男子では初のメダルを獲得した。2人は高校時代からのライバル。初めて組んで出場した五輪で結果を出した。
エーゲ海に面するアギオスコスマス・ヨットセンターは詰めかけた日本人関係者の歓声に包まれた。最終レースに臨む時点で4位。3位のスウェーデンペアとは1点差だった。ポイントは風。外国勢に比べ小柄で体力的に劣る日本ペアが世界と互角に争うには、風速8メートルまでの微風がベスト。まさにその風に恵まれた。
高校時代はライバル同士だった。関は中学3年で、15歳以下のアジア大会優勝。ヨットの名門・土浦日大高へ進学した。3年の時だ。関はインターハイ個人戦で優勝。しかし、団体戦は霞ケ浦高に敗れた。関の前に立ちふさがったのが同校のエース轟だった。関は日大に、轟は京都産業大に進学した。日大で470級に乗り換えた関は2年でインカレに優勝、一方轟は個人戦で優勝した。
五輪に向かって先に走り出したのは関だった。98年五輪選手を4人輩出した名門の関東自動車工業に入社し、湘南で練習を続けた。しかし99年、代表選考会のレースで惨敗。00年から総務部の社員として働いた。週末しか練習のできない環境になった。
「轟がパートナーをさがしている」。そんな噂を耳にした。琵琶湖で1人乗りのトレーニングを積んでいた轟を誘った。01年春、関東自動車工業に轟も入社。轟が風を読む「クルー」に、関がかじを取る「スキッパー」へと役割を分けた。ライバルがパートナーとなった。
02年のアジア大会で2位に入ると今年5月のクロアチアの世界選手権で17位。五輪切符をつかんだ。2人がともに練習した霞ケ浦から10年。穏やかだったエーゲ海が2人を祝福した。
[2004/8/22/08:44 紙面から]
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