五輪出場決定アーカイブス
全日本柔道選手権 |
2004年4月30日付紙面より |
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鈴木、康生破り日本一!五輪切符

写真=ライバル井上(右)を優勢勝ちで破り初優勝を決めた鈴木は、応援席に向かってガッツポーズ(撮影・宇治久裕)
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<全日本柔道選手権>
◇29日◇東京・日本武道館◇体重無差別◇アテネ五輪100キロ、100キロ超級最終選考会
鈴木桂治(23=平成管財)が決勝で井上康生(25)に優勢勝ちして昨年の雪辱を果たし、初の日本一の座に就いた。左手薬指打撲で満足な練習はできなかったが、気迫でカバー。残り1分9秒で注意のポイントを奪い、逃げ切った。鈴木は試合後の強化委員会でアテネ五輪100キロ超級代表に選出され、井上は100キロ級代表として五輪連覇を目指すことになった。3強の一角・棟田康幸(23=警視庁)は準決勝で鈴木に敗れ、涙をのんだ。
電光掲示板の残り時間がゼロになると、鈴木は観客席の応援団に右手人さし指を高々とかざした。おれがNO・1。井上の4連覇を阻み、最強の称号を手に入れ「うれしい。楽しくできた。体は戦っていたけれど心では楽しめた」。汗まみれの顔に笑みが浮かんだ。
7度目の対決。井上が得意の内またで攻めれば、鈴木は小外刈り、足車を繰り出して互角の戦いを繰り広げた。残り1分50秒、井上のつり手を殺して決定的な技を封じた鈴木は出足払いでひざをつかせ、7秒後には小内刈りでグラつかせた。ペースは完全に挑戦者。残り1分9秒、気迫に押された井上に注意が与えられ、貴重な1ポイントを守り切った。
試合後、井上から「参りました。また、やろう」と再戦を申し込まれた。目指していた人から贈られた最高の褒め言葉だった。通算3勝3敗1分け。星の上でも五分に持ち込んだ。
4日の選抜体重別の敗戦をバネにした。準決勝で井上の兄智和に負け、井上と対戦する前に舞台を降りた。申し訳ない気持ちと情けなさでいぱいだった。打撲した左手の薬指が完治せず、乱取りを始めたのはわずか1週間前。練習量は不足していたが、気持ちは充実していた。決勝を意識し過ぎた反省を生かし、1戦1戦を大事にたたかおうと心に決めた。選抜100キロ超級を制した生田、同90キロ級王者の飛塚、90キロ級五輪代表の泉。難敵ぞろいのブロックを、苦しみながら1本で片付けた。
準決勝の棟田戦は、事実上の五輪代表決定戦。強引に奥襟を持ちにいくと棟田がそれを嫌い、両手をついたところに注意が宣告された。「棟田を投げるのは難しい。今日は勝たせてもらった」。かつて「康生さんを倒そう」と結束した2人が、1つのいすを争う勝負の厳しさを受け止め、親友に敬意を表した。
世界王者2人を立て続けに破った鈴木に、強化委員会は五輪100キロ超級制覇を託した。「ヤス(棟田)のためにも、日本に持ち帰るのは金メダルしかない」。鈴木は、同い年で中学時代から刺激し合ってきた棟田に金を誓った。88年ソウル五輪の斉藤仁以来途絶えた100キロ超級の王座を、日本に取り戻す。【岡山俊明】
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◆鈴木桂治(すずき・けいじ)1980年(昭55年)6月3日、茨城県生まれ。5歳から柔道を始める。国士舘中、同高、同大と進学。02年に日本国際、ロシア国際、フランス国際と国際舞台で3連勝し、9月のアジア大会も制覇。昨年4月の全日本選抜体重別100キロ級決勝で井上を倒して優勝したが、同月の全日本選手権では決勝で井上に敗れた。9月の世界選手権無差別級金メダル。得意技は内また、大外刈り。184センチ。
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| アテネ五輪柔道男子代表 |
| 階級 |
代表 |
年齢 |
所属 |
| 60キロ |
野村 忠宏 |
29 |
ミキハウス |
| 66キロ |
内柴 正人※ |
25 |
旭化成 |
| 73キロ |
高松 正裕 |
22 |
旭化成 |
| 81キロ |
塘内 将彦 |
26 |
旭化成 |
| 90キロ |
泉 浩 |
21 |
明大 |
| 100キロ |
井上 康生 |
25 |
綜合警備保障 |
| 100キロ超 |
鈴木 桂治 |
23 |
平成管財 |
| 【注】年齢は4月29日現在。※は代表候補。アジア選手権(5月15、16日、カザフスタン)で出場枠獲得を目指す |
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康生4連覇失敗「泣きそうなほど悔しい」
100キロ級代表決定の味はほろ苦かった。世界王者のプライドをかけた井上が、自他ともに認める宿敵・鈴木に屈した。攻め手を欠き、注意を受けたのが残り1分9秒。王者に反撃する力は残ってなかった。「執念というか何かが足りなかった。分かっていても体が動かなかった」。館内のため息とともに鳴り響いたブザー。アテネ切符は手にしたが、史上3人目の4連覇は夢と消えた。
父明さんは初戦の松田戦を見て「本調子ではない」とつぶやいた。悪い予感は的中した。3月の練習中、体重150キロの相手が左ひざに落ちた。「ピチッという音がした」という。試合前、痛み止めの注射を打ったが、本来の動きにはほど遠かった。最後まで「影響はない」と言い張ったが、生命線の内または不発に終わった。
借りはアテネで返す。「今日、なぜ勝てなかったのか考えることが2連覇への近道と思う」。しゃにむに突き進んだ00年シドニー五輪で金。だがその後、どこかで受けに回った自分がいた。父明さんは「性格的にもこれでさらに強くなる。いい起爆剤です」と言った。井上は「こうして話してますけど、何か間違ったら泣きそうなほど悔しいんです」。気丈だった会見の最後に漏らした本音。この気持ちがある限り、まだまだ強くなる。【牧野真治】
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◆井上康生(いのうえ・こうせい)1978年(昭53)5月15日、宮崎県都城市生まれ。大宮中−東海大相模高−東海大−東海大大学院在学。綜合警備保障所属。宮崎県警の父が柔道をする姿にあこがれ5歳で始める。00年シドニー五輪優勝。世界選手権は99年から3連覇、全日本選手権は01年から3連覇。右組み。得意技は内また、大内刈り、大外刈り、背負い投げ。家族は父明さん(57)兄将明さん(31)智和さん(28)。
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棟田、準決勝で涙
アテネ切符をかけた準決勝で鈴木に敗れた棟田は「言うことありません。結果がすべてです」と、さすがに気落ちした表情だった。2、3回戦と連続1本勝ち。気迫あふれる柔道を展開したが、組み手を封じられ、無念の涙。それでも「あいつ(鈴木)は大事な存在だし、ライバル。あいつがいたからこそ、ここまでやれた。前に出ることだけを考えていたが、本当に強かった」と鈴木をたたえた。
泉「いい経験になった」
90キロ級五輪代表の泉は、健闘したものの準々決勝で鈴木に1本負けした。「もう少し、棟田さんの援護射撃をしたかったんだが…。鈴木さんは強くてうまい」と潔く敗戦を認めた。全日本選抜体重別は1回戦敗退ながら代表入り。「福岡が終わってから自分をゼロに戻し、これからが再出発。組み手、技のかけ方など、いい勉強、いい経験になりました」と話した。
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