谷間の世代「世界」を痛感/男子サッカー
<アテネ五輪男子サッカー:イタリア3−2日本>◇15日◇1次リーグB組◇ギリシャ・ボロス
0−2から、日本にやっと1点が入った。前半20分、阿部勇樹が得意のFKをゴール左隅にけり込む。その右足は終了間際の高松大樹の2点目もFKで生んだ。それでも、3−4で惜敗したパラグアイとの初戦に続き、また1点差で敗れて準々決勝への道は途絶えた。
終了の笛が鳴ると、阿部はピッチに座り込んだ。「勝っていれば得点の実感もあったけど…」。
山本昌邦監督(46)は試合後、2得点を紡ぎ出した阿部を褒めるより、責めた。前半2分のFKを、田中マルクス闘莉王に譲ったからだ。「おまえがけれ、とこっちが叫ぶまでけらなかった。おれがやってやるという気持ちがない。イタリアはFKでキッカーの役目を取り合っていたのに」。
日本は今回で3大会連続の五輪。W杯には2大会連続で出場した。中田英寿(フィオレンティーナ)ら次々に現れた逸材が道を切り開いてきた。
だが阿部らの世代は、国際大会での実績が乏しく「谷間の世代」という呼び名がつきまとった。
2年前に就任した山本監督は、初練習でW杯の日本代表と同じメニューを試し、がくぜんとした。「全然できないじゃないか。こんなにも差があるのか」。目に映るのは、中田英らと比べても変わらない技術を持て余す選手たち。「“谷間”なんて言われて自信をなくしていた」。
五輪までの2年間で、実に41の国際試合をこなし、心技体とも鍛えられ、アジアの壁を乗り越えるまでに成長した。しかし、世界の壁を打ち破る強さまでは身に付けられなかった。
初戦で緊張のあまり「自分でも信じられなかった」というミスで敗因をつくった主将の那須大亮は「これまでは分からなかった差を肌で感じたのは財産になる」と言った。数年後に日本サッカーを担わなければならない選手たちは、その「世界基準」をようやく知った。(共同)
[2004/8/16/15:18]
写真=イタリアに敗れ予選敗退が決定、ピッチを去る小野(手前)ら日本五輪代表イレブン(共同)
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