体操新時代の若者が栄光の扉こじ開けた
<体操>◇16日◇男子団体総合◇決勝
体操ニッポンの栄光を、新しい時代の若者たちが28年ぶりに取り戻した。男子団体総合決勝最後の種目、鉄棒。エースの冨田が美しい新月面宙返りでピタリと着地を決め、拳を握り締めると仲間のもとに駆け寄った。
2位が決まった米国ファンからもスタンディングオベーションが起きる劇的な幕切れ。モントリオール五輪で塚原光男チームリーダー(56)が月面宙返りで五輪5連覇を決めた、あの時のように。
「われわれの時代は学校体育の範囲。体操は中学生で始めたが、中国やソ連などはジュニアからの強化で強くなった。日本も専門クラブが育ち、全国に普及した結果だ」。スタンドで見守った塚原チームリーダーは感慨深げだった。
冨田や昨年の世界選手権種目別2冠の鹿島、主将の米田はソウル五輪で池谷幸雄、西川大輔の「清風コンビ」を輩出した大阪のマック体操クラブの出身。3人を指導した当時のヘッドコーチ、城間晃さん(51)はソ連の強化体制を学び、ジュニア育成の信念を貫いた。「採点規則が変わっても体操の美しさは不変。だから、ひざ、つま先を伸ばすように基本ばかりをうるさく言ってきた」。
塚原も五輪代表の両親のもとで成長し、水鳥は父が運営する静岡の水鳥体操館、中野は新潟市体操クラブで基本を学んだ。ジュニアの地道な練習の繰り返しがいまを支えている。
「欧米型のような地域のクラブなら子どもたちは継続的に取り組める。学校の運動部中心の指導は少子化時代のいまは大変で、体操を教えることができる先生も少ない」と小野喬さん(73)。金メダルラッシュに沸いた東京五輪後の1965年。体操ニッポンの礎をつくった小野さんが妻の清子さん(国家公安委員長)らとともに「池上スポーツ普及クラブ」を創設。これが日本の体操を支えるクラブ隆盛の原点となった。
日本最多8個の金メダルを獲得した加藤沢男・国際連盟技術委員(57)は鉄棒の審判員として、目の前で歴史的な瞬間を見届けた。「選手一人育つのに10年はかかる。先を見据えた指導者たちも出てきたから、いまの代表選手が育った。昔とは違う総合力を感じる」。
待望された復活がようやくかなったが、冨田は言った。「復活とは考えていない。時代も技も違う。ぼくたちで新しい日本を築きたいと思ってきた。新しい1ページを開いた」。新生、体操ニッポンの誕生を宣言した。
[2004/8/17/13:35]
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