2004年8月22日付紙面から
露出多い婦女子に…揺らぐギリシャ哲学
大学時代からギリシャ哲学に興味があった。これまでの現地取材で自分なりにギリシャ人「哲学」を体感したが、その1つを「表面はとりあえず取り繕って、恥部は隠してしまう傾向」と結論付けた。
表はピカピカのニケヤの重量挙げ会場は、裏側は廃材&ゴミの谷。アテネ中心部の廃虚団地は、当局が開幕直前に巨大垂れ幕で隠した。トイレの排水パイプが細いため、尻をふいた紙を流せないなんて、その最たるものである。最初から太いパイプにせい! とわめきたくもなる。
でも、最近その結論が揺らぎ始めた。日本のキヨスクにあたる駅前や広場の売店「ペリープテロ」の一部で、女性の無修正ヌードが載ったわいせつ本を、堂々と表紙を並べて多数販売しているのだ。さらに男性ヌード本やアダルトビデオまで。例えばタイトルは…いや、あまりに下品な話になるのでやめておこう。
さらに、街角のギャルの多くは通常隠す場所の「露出」が激しい。下着が透けまくっているズボンやスカートは当たり前だし、乳首が浮き出ている婦女子もやたら多い。なぜ競技会場周辺の恥部は隠して、こういった「恥部」は隠さんのか! 再びわめきたくなった。
エーゲ海に浮かぶミコノス島のヌーディストビーチで「プラトニックラブ(精神的純愛)」の語源となった、古代ギリシャ哲学者プラトンの著作「饗宴(きょうえん)」(岩波文庫刊)でも読みつつ、ギリシャ人哲学の矛盾、そして奥深さをじっくり考えたい。【広部玄】
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