敗者の涙・勝者の涙。
<普段着の内柴>
−−「そこのサミット(食品店)でいつも買い物して、2階のコジマ(家電店)でぶらぶらしてます」と、柔道の66キロ級日本代表の内柴正人君があいさつすると、市役所のロビーに設けられた激励会場は、どっと笑いに包まれた−−。
という原稿を、本欄で書かせてもらったのは7月15日のことだった。
東京・三鷹市で「アテネ出場おめでとう」という激励会が行われ、体操の塚原一家らとともに出席した内柴正人は、在住選手として、そう挨拶した。
市民、とりわけそこをジョギング・コースにしている筆者は、ことのほか親近感を覚えた。
その内柴が、見事に優勝した。
日刊スポーツ16日付でも、体重調整に苦しんで、昨年の体重別で失格した、66キロ級に上げての五輪出場だったと、五輪取材班が詳しく書いている。「家族のために頑張った」のだ、と。是非ご一読頂きたい。
振り返れば、あの時のあいさつに、彼にとって一番重要なことを、無意識に話していたのだ。
長男輝(ひかる)君の出産と育児で手が離せないあかり夫人(24)の代わりに、彼が買い物していたのだ。それこそ、「そこのスーパーで」。直前練習を支えた唯一の楽しみは、あかり夫人が編集制作する、輝君のDVDだったという。まさに「そこの電気店でぶらぶらして」夫人用にパソコン・セットを整えたのだ。
人が何気なく話す中に、勝利の秘密がしばしば含まれている。聞く側には、そのときはそれがわからないが、後になって、ああ、そういうことか、と点が結ばれることがある。
選手のコメントには、時に推理小説の楽しさがある。
それにしても、実に鮮やかなオール一本勝ちだった。
<北島のバサロ>
ソウル五輪で、鈴木大地さんがおおかたの予想を裏切り、バーコフを逆転して優勝したことがあった。
スタートから潜水するバサロ泳法を、いつもより長めに続け、バーコフを心理的に動揺させた。バサロを長くすれば筋持久力的にはマイナスだが、一発にかけて勝った勝負強さが伝説となった。
北島が日本選手権で、100、200メートルともに後半伸びず、タイムもよくなかった。
見かけよりナイーブな選手だから、ハンセンの好記録にも動揺し、アテネでは活躍できないかもしれない、という見方が、実はかなり強かった。
その一方で、三味線をひいた、あるいは筋トレを念入りにしたための、必然的な結果、などの見方があった。
アテネでは後半、よく伸びた。
100メートルのラストはすばらしく自由で、自然で、コンディション調整が最終的にはうまくいったことを表していた。
結局、昨年12月にヒザを痛め、いわゆる「オフの筋トレ」がかなりずれ込んで、日本選手権ではまだ「体を痛めつける」段階から抜けきっていなかったのだろう。
筋トレは疲労を残し、筋肉の動きを鈍くする。大きな筋肉は鍛えられてパワーは上がるが、実動作で必要な小さな筋肉が追いつかないため、一時的にタイムが落ちる。その後に実際の練習で「泳ぎ込む」ことで、泳ぎのバランスが取り戻せるのだ。
その後も6月に少しヒザを故障したと聞くが、言い換えれば、結果的にスケジュールを遅らせた、「北島のバサロ調整」の成功となった。ハンセンは、北島のシャープで鋭い泳ぎにびっくりしたに違いない。北島は、さぞ「気持ちよかった」に違いない。
ただしコーチは「実動作」との兼ね合いで、ぎりぎりの調整スケジュールにさぞあわてたことだろう。
<敗者の涙・勝者の涙>
横沢が決勝で負けた。
準決勝、残り1秒の逆転の後だけに、最後まで応援したが、届かなかった。
涙が、印象的だった。
柔道男子でも、66キロ級、3位決定戦でキューバのアレンシビアが「勝って」泣いた。同じ技を連続してかけて、わずか35秒ほどで勝利を決めるすばらしい内容だったが、決勝に進めなかった悔しさが、勝って初めてあふれ出たのだろう。
谷亮子の、「シドニーより何倍もうれしかったです」は、「シドニーの時より何倍も苦しかったです」と聞こえた。谷が「ふつうの顔」になって、ボロボロと涙をこぼした。へんな言い方だが、なんだ、ふつうの女じゃないか、とその時思った。
あの場面も、忘れることはできない。
敗れた者、勝った者。
いずれの涙も、美しい。
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後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、58歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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