108年の時空
<第1回大会から受け継ぎたいものは>
まもなく、2度目のアテネ五輪が始まる。
1894年に、当時貧弱なスポーツ国だったフランスの貴族クーベルタンが、青少年の未来のためにと、オリンピックの復興を提唱。その2年後に、アテネで最初の近代五輪が始まった。
五輪は大会ではなく、本質は永続的な活動(五輪運動)であり、その象徴として4年に1度、世界が集まって大会を開く。
五輪が何を目指すかは、時に政治に、時に世間のムードによって微妙に動かされてきたが、スポーツの本質は常に「より速く、より高く、より強く」であることに変わりはない。スポーツは「現状維持でかまわないから、体を動かして楽しむ」ことではない。どこかに「より」上手になり、速くなり、向上していくベクトルが存在しなければならない。同時に「競う」ものであり、競うことで向上が推進されるものである。
それだけではない。
クーベルタンが意図した「より強く」の強くは、精神的な強さであり、「障害を乗り越えていく」勇気だった。
第1回大会には、その根源の精神は強く表れていた。
当時、スポーツがどこででも受け入れられ、今のようにスポーツ選手が社会的な評価を受けたり、スポーツをすることが「尊い」行為だと、認められていたわけではない。だからこそ、クーベルタンは、スポーツの世界祭典を興すことで、それを推進しようとしたのだ。
従って第1回大会は、選手にベストの環境が与えられたわけではない。選手に豪華な賞品や賞金が与えられたわけでもない。事実、金メダルは存在せず、優勝者は月桂樹の冠と、銀のメダルしか与えられなかった。クーベルタン自身は金メダルの授与を考案したらしいが、ギリシャ側が「それでは選手を金銭で釣るようなものだ」と拒否したとも、聞いている。あるいは予算がなかったか。
大会運営もつまずきが多く、米国チームは「ギリシャ歴」の日程表との時差を確認しなかったために、あやうく開幕に遅れるところだった。水泳は洋上で行われた。
参加国数 14(今回201)
選手数 214(同1万500)
競技数 9※(同28)
会期 10(同17)
※=実際に行われたのは8競技
それでも、彼らは全力を尽くした。
スポーツ以外の障害を乗り越えることを、スポーツの選手にとって当然のことと考えていた。文句を言わず、ベストを尽くした。
「米国の三段跳びの選手は、ハーバード大の学生だったが、大学側が五輪参加のために授業を欠席することを許さなかったため、退学して参加した」と、外電が歴史に埋もれたエピソードを伝えてきているが、みながそうだった。
マラソンで優勝した地元ギリシャのルイスも、水運びの仕事をしながら練習し、直前の国内予選にも出場した。1カ月で3度も、灼熱のコースを走り抜いたことになる。
ルイスは優勝後、多くの褒美をもらったが、「彼はただ、好きな女の親に認められたくて頑張っただけだ」とも、言われている。伝説は数多い。1936年ベルリン五輪では、ヒトラーにオリーブの枝を手渡す儀式に登場した。その4年後に他界したが、その間、幸福だったとは聞いていない。米国の記者が会いに行くと、ボロ布をまとっていた、とも記述されている。
開会式会場への聖火リレーの最終走者の1人に、そのひい孫である27歳、車のセールスをやっているマノリス・ルイスさんが選ばれている。それぞれが「実は」を語り合い、ルイスを褒め称えてきたために、どれが本当かは、今では確かめることができない。
けれど、不屈の精神をもち、金銭や物的な褒美ではなく「ただひたすらに」ベストを尽くして勝とうとしたスポーツの根源精神をあふれさせて最初の近代五輪を戦ったことは、時空を超えて、想像に難くない。
第1回五輪以前に、すでに国際競技としての地位を確立していた自転車などは、今では考えられないような、トラックでの「12時間」競技も実施された。
それらの事実や伝説が、なぜ、今ではひどくロマンチックに感じられるのか。
2度目のアテネ五輪が、いま1度世界の人々の心のたいまつに、赤々と根源の火を付けてくれることを、願わずにはられない。
そしてそれを今も燃やし続けている町のスポーツマンそれぞれに、大きな勇気をさらに与えてくれることを、願わずにはいられない。
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後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、58歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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