五輪出場決定アーカイブス
女子マラソン |
2004年3月16日付紙面より |
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1対9選考委員会…尚子五輪マラソン落選
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| アテネ五輪の選考に漏れたものの、高橋尚子は笑顔で会見場を後にする(撮影・たえ見朱実) |
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マラソンの女王・高橋尚子(31=スカイネットアジア航空)のアテネが、史上初の五輪連覇が消えた。日本陸上競技連盟は15日、東京都内で理事会、評議員会を開き、アテネ五輪男女マラソン代表6選手を発表した。シドニー五輪金メダル、日本最高記録の実績を持つ高橋は、昨年11月の選考レース、東京国際で2時間27分21秒の2位に終わったことが響き落選。午後6時半すぎから都内ホテルで会見した高橋は「残念ですがこれで陸上が終わったわけではない」と今後も走り続けることを明言した。
高橋派はたった1人だった。午前8時、都内で日本陸連の沢木強化委員長、桜井専務理事ら10人の選考委員によって代表選考の原案づくりが始まった。最大の焦点は抜群の実績と人気を誇る高橋をどうするか。約2時間の議論の大半をこの問題に費やした。壁を隔てて大勢の報道陣が耳をそば立てていた。明らかになったの意外な内容だった。
小掛副会長「高橋を推したのは私だけ。賛同意見はなかった。五輪のメーンは女子マラソン。国民は知っている。去年の東京国際が高橋の力ではないのに」。
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| アテネ五輪代表に決まった3選手。左から野口みずき(25)土佐礼子(27)坂本直子(23) |
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内定の野口、前日の名古屋優勝の土佐は記録も最上位で2番手にすんなり決定。残り1枠を1月の大阪を制した坂本、昨年の世界選手権銅の千葉、そして高橋で争った。まず、大阪で坂本との直接対決に敗れた千葉が脱落。だが、坂本を落とす理由はどこにも見つからなかった。
選考レースの順位と記録が重視された。実績でも、気象等の条件面でもない。男子も3枠目はびわ湖2位の小島忠ではなく、タイムのいい福岡2位の諏訪。男子日本最高を持つ高岡も補欠止まり。高橋に残る理由はなかった。
午後1時、高橋外しの原案を持って理事会(定員43人)の選考会議が始まった。今度は報道陣も会議室から遠ざけられた。テレビ各局の中継車が集結し、物々しい雰囲気が漂う。だが、議論はわずか約10分。反対はなく、あっという間に原案は了承された。高橋の実績を尊重し、補欠指名は見送られた。
山下佐知子理事「議論するまでもなかった。専門家が考えればこうなる」。
沢木強化委員長「五輪連覇が狙える。我々も夢を描いていたが…。選びたかったが、できなかった」。
増田明美理事「高橋さんを選びたい気持ちは誰にもある。高橋さんを外せばもめるけど、入れればもっともめたと思う」。
結局、各理事の心も高橋外しで固まっていた。それにしても過去のドタバタ劇がうそのようだ。実績を理由に有森裕子、瀬古利彦らを「ウルトラC選考」してきたが、今回はまっとうだった。陸連は毎回繰り返されるごり押し選考に対する批判を恐れた。そして「選手を抱える指導者に明確な理由を示したかった」と沢木強化委員長は言った。日本の女子は世界一層が厚い。スター選手を優遇することは全体のバランスを崩すことになりかねかった。
高橋のいない五輪。喪失感は否めない。そんな中、沢木強化委員長は「今後、選考方法を改める考えがある」と明かした。日本陸連は、高橋外しをきっかけに体質改善に乗り出した。
○…高橋落選に世界の陸上関係者からも驚きの声が上がった。女子世界記録を持つラドクリフ(英国)の夫でマネジャーのゲーリー・ラフ氏は「驚いている。ナオコはがっかりしているだろうが、次の目標へ進むしかないだろう」とコメント。関係者やインターネットを通じ、日本の選考事情には精通していたようで「なぜ彼女は名古屋で再挑戦しなかったのだろう」と不思議がった。国際陸連(IAAF)デービス広報部長は「ビッグスターが五輪に来ないのは残念だが、日本女子の層の厚さを示している。3人の中から新しいスターが生まれるかもしれない」とフレッシュな顔触れに期待した。
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◆高橋尚子(たかはし・なおこ)1972年(昭47)5月6日、岐阜市生まれ。岐阜・藍川東中で陸上を始め、県岐阜商から大阪学院大を経てリクルート入社。97年1月大阪国際で初マラソン。同年に小出監督の移籍に伴い積水化学に入社。98年アジア大会(バンコク)で2時間21分47秒の日本最高(当時)で優勝し、00年シドニー五輪では金メダルに輝いた。同年国民栄誉賞受賞。01年ベルリンで2時間19分46秒の当時の世界最高で優勝した。163センチ、45キロ。
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土佐、五輪マラソン逆転切符!親子で喜ぶ
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| アテネ出場が決まった土佐礼子は日の丸を手にVサイン=東京・町田市の三井住友海上研修所 |
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名古屋国際を脅威の逆転で制した土佐礼子(27=三井住友海上)が、選考レースでも高橋尚子を逆転してアテネ五輪切符を手にした。高地トレで頭角を現した根性娘にとって、起伏の激しいアテネのマラソンコースは望むところ。東京・町田市内の合宿所で午後3時半から会見し、堂々と金メダル奪取を誓った。鈴木秀夫監督(51)は高校時代の師匠である小出義雄代表に恩返しを果たした。
果報は寝て待て−。宿舎で昼寝をしていた土佐は、NHKの速報を見た故郷愛媛の友人から電話で代表決定を知った。祝福のベルは鳴り続け、父逸朗さん、母ひな子さんに喜びの報告。涙もろい親子はお互い泣きじゃくり、会話にならなかった。「選んでもらえて本当に光栄。まだ信じられない。うれしい」。名古屋で100メートル差をひっくり返し、代表選考では実績断然の高橋をうっちゃった。たった2日間で、運命は逆転した。
14日の夜は優勝の余韻に浸り、選考を信じて待った。鈴木監督からは「あのレースなら決まりだ」と勇気づけられた。バルセロナ銀、アトランタ銅の有森裕子の走りに感動して泣いた土佐は、あこがれの大舞台に思いをはせた。「走る時はいつも自己ベストが目標でしたが、日本代表として金メダルを意識したい」と、日本人2人目の快挙達成を誓った。
長い上りなど起伏に富むアテネのマラソンコースは、土佐が得意とする形状。99年に米ボルダーの高地トレで過ごした1カ月半で急激に力をつけただけに、アップダウンは苦にしない。苦しくなって涙が出てから本当の強さを出す根性娘は、気温30度の暑さなど条件が厳しくなるほど本領を発揮する。純粋なスピード勝負では世界記録保持者のラドクリフや世界選手権優勝のヌデレバに及ばないが、極限の忍耐力が必要とされる状況では互角かそれ以上。「一気にスピードを上げたり下げたりがまだまだなので、切り替えられる練習をしていきたい」。課題を克服できれば、表彰台も現実に近づく。
当面は休養して疲れをいやし、5月から体づくりと距離練習で基礎を磨く。6月から2カ月間で実戦的なメニューをこなし、本番1カ月前は欧州の拠点で調整。直前にアテネに入る。右手薬指に光る指輪は、3年前に愛する人から贈られた。今年は両手に花のビッグイヤーになるかもしれない。【岡山俊明】
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